焼山 ヤケヤマ 標 高 2400m 日本三百名山

山 域

頚城
登 山 記 録
登山月日 2005年5月3日
登山経路 笹倉温泉登山口5:30〜アマナ平7:35〜北面台末端8:15〜火口縁12:30〜山頂12:45/13:00〜アマナ平15:10〜登山口16:25
行動時間 登り7時間15分 下り3時間25分 合計11時間(休憩時間を含む)
天  候 快晴
メンバー 単独

情  報

アクセス R8糸魚川市早川から笹倉温泉へ。1キロ先の登山口まで舗装道路
トレイル 登山口から残雪ある。トレースを忠実に追う。北面台からは焼山の右側に回りこみ潅木帯を2箇所通過して山頂目指して直登する。
水場・トイレ 笹倉温泉にあるが早朝は利用できない
その他 苦労した分報われる。天候悪化時は目印がないので引き上げる。

林道を登り詰めると焼山が姿を現した

アマナ平にテントを張り春スキーを楽しむ

アマナ平に向う

北面台から鉾が岳

北面台越しに見る火打山

眼前に焼山が

北面台を登りきり鉾が岳を振り返る

いよいよ焼山が迫る

山頂から火打山

高妻山・堂津岳

雨飾山と北アルプス白馬岳〜朝日岳方面

最高点に立つ山頂標識

登ってきた道を振り返りながら

来年はスキーを担いでくるからね

山行記

昨年4月、笹倉温泉から焼山山頂をめざしたのであるが、前日の降雪が30センチもありトレースが消えてしまい、結局北面台地末端までしか足を伸ばせなかった。その時に見たあの広大な北面台と焼山・火打山の荘厳なまでの山容が一年過ぎた今でも脳裏をかすめるインパクトがあったのである。
その後、昨年7月には天狗原山から金山経由で富士見峠に回り、野宿して念願の焼山は落としているのであるが、昨年残雪期を目指したのに敗退したことが消化不良として残り、なんとしてでもの思いで今年も笹倉温泉に駆けつけたのである。
笹倉温泉から1キロ先の登山口で仮眠をとる。目を覚ますと5時少し前で慌てる。とにかく標高差2000mを越え、山頂までの距離も10キロ以上はある焼山を目指すには、いくら早くても早すぎる出発はないのである。登り7時間、下り5時間行動時間12時間をめどにしている。
何やかにやと支度をしていると出発は結局5時半を過ぎていた。
勝手知ったつづら折れ林道をショートカットを繰り返しながら急ぐ。昨年よりは残雪も多い。
焼山が初めて見える小高い丘で朝食をとり、昨年北面台と間違えた手前の丘を横に見ながら進むとアマナ平には2時間で到着した。テントが3張りあって、ここをベースに春スキーを楽しんでいるものがいるようだ。
北面台への急登を登ると眼前に焼山が迫る。延々と続く北面台は天候は雲一つない絶好の日和である。焼山を中心に火打山・高松山が東西に控えて、光り輝いている。雪原に立つのはダケカンバの幼木ばかりでこれとても前方を遮るほどのこともない。前方にはスキーヤーがシール登高をしているのが見える。
緩やかな勾配の台地を焼山目指して進む。木陰で休憩するスキーヤーに話しかけると先行するグループは長野市からの山岳会(R&B)で山頂からの滑降を楽しみに山頂を目指していることを知る。これで一つの不安が消えたことになる。ベテランの山岳会の後をついてゆけば迷うことなく山頂に着く、ラッキーとしかいいようがない。
焼山に近づくに従い徐々に勾配もまして、ピッチも落ちる。スキーを履いた山岳会と私の中間に単独行の登山者が見えるのであるが、その差は徐々に開いてゆく。「俺はもう歳だから」などと自嘲気味につぶやきながら、休み休み登る。時々北面台を振り返ると北面台の先に鉾ヶ岳の雄姿が見える。西側の高松山には肩を並べるまで登ってきた。しかし北面台に入ってからもう2時間は過ぎたであろうか。見上げる焼山山頂はまだまだ遙か先に見える。
焼山の右(西)側に回り込むように進み、最初の灌木帯を抜ける。ここからは残雪の斜面を200m位の直登になって、大きな岩場の下まで登る。雪が被さってきて雪崩の恐怖も覚える。さらに二つ目の灌木帯を横切り、次の雪面を50mほど登りきると岩場の脇に平場になった休憩ポイントがあった。ここで先行する山岳会に合流できて一安心。しばし談笑する。
そこから火口縁までは地熱のせいか、それとも強風に雪がとばされたせいか薄くなった残雪とブッシュの中を直登する。火口縁の前で冬毛の白いライチョウが出迎えてくれる。縄張りに入ってきた人間を威嚇しているのだろうか、それとも歓迎しているのだろうか、しっぽを広げている。
シャリバテと疲労でグロッキーになりながらも、笹倉温泉から7時間かけて、ようやく山頂の火口縁に立つことができた。山岳会パーティとは少し離れた場所で昼食をとる。ここまできて山頂を踏まなければ悔いが残る思いに駆られ、夏道の鎖場を越えて山頂標識と三角点の立つ最高点には12時45分立った。
雲一つない澄み切った空の下、感動の大パノラマが開けている。
昨年夏、登ったときも大きな感動であったが、今日はさらに大きな喜びを感じている。この感動をいつも自分のことのように喜んでくれるマッケン君に携帯電話で報告すると、不覚にも涙がこぼれるのであった。
帰りの時間も気になると長くは滞頂できない。15分だけの短い時間では有ったが下山にかかる。
火口原に直接降りると、ここにも白いライチョウのつがいが姿を現した。冬の食糧不足であろうか、ずいぶんとやせていて、なんだか哀れに思うのだがこれが自然というものなのだろう。
火口縁から下りかけると後続の単独行氏が登ってきた。「スキーだから帰りは早い」と遅い時間にも余裕の登頂のようでうらやましい。急傾斜の斜面をしっかりアイゼンを利かせ、慎重に下る。「雪崩が起きたらひとたまりもないなー」と危険地帯は早く突破したいものと思いながら、なるべく灌木帯に近いところを下る。ようやく危険地帯をすぎると、ほっと一息ついて北面台を眺めながら休憩する。
テレマークスキーヤーがちらほら見える。「いつか私もこのフィールドでスキーが楽しめたらよいな」と思いがするが「もう私にはスキーがそんなに上達するほどの時間がない」ことを感じている。
滑落の危険がない北面台をアイゼンはずして走るように下る。内股の筋肉が悲鳴を上げているが委細かまわず登山口まで下って、登り7時間かけた道を3時間と少しで駆け下ったのである。



冬毛のライチョウが迎えてくれた


 


焼山 ヤケヤマ 標 高 2400m 日本三百名山

山 域

頚城
登 山 記 録
登山月日 2003年7月19日
登山経路 7月19日 小谷・笹ヶ峰林道金山登山口5:00〜天狗原山8:35〜金山9:25/9:40〜裏金山〜富士見峠12:15/13:15〜焼山15:05/15:30〜富士見峠17:00
7月20日 富士見峠5:30〜裏金山縦走路引き返し〜富士見峠7:50〜地獄谷〜杉の沢橋14:15
行動時間 1日目12時間 2日目8時間45分 合計20時間45分(休憩時間を含む)
天  候 1日目曇後晴 2日目ガス深し
メンバー 1日目単独 2日目信濃町の沢登りのベテラン二人組と

情  報

アクセス 小谷・笹ヶ峰林道金山登山口は小谷村から舗装道路
トレイル 金山までは登山道が整備されているが富士見峠までは荒廃していて薮漕ぎがある。富士見峠〜焼山までも登山道はない。
地獄谷は樹林帯の道なき薮を下り、滝をたか巻きながら下る。
水場・トイレ 登山口〜1時間の場所、富士見峠の北側に水場ある。トイレはなし
その他 登山禁止の山も山頂直下の岩場には鎖が設置してあり安心して登れる。


焼山

  
縦走路の金山山頂

   
ミヤマキンバイ・チングルマ・ハクサンコザクラ等が群生する金山のお花畑


焼山山頂

 
  焼山頂から眺める火打山


乙見湖と天狗原・金山方面


雨飾山と山頂溶岩ドーム


山頂の火口湖


金山方面と山頂直下の鎖場


火口原に咲くヤマハハコ


富士見峠で出会った沢登りのベテラン2人の小林さん

山行記

1日目
小谷・笹ヶ峰林道の金山登山口には深夜3時に到着した。
山深い登山口の駐車場には3台の車が停まっていた。1時間ばかり車の中で仮眠をしていると雨が落ちてきて先行きが心配になる。夜が明けるのを待って支度を始める。幸い雨は通り雨で上がっていた。
インターネットで検索するとロングコースではあるが頑張れば日帰りも可能な報告もあり、非常用のツェルトと食料を持って、コンロなどは車に残し軽荷になって、日帰りを覚悟で登山道に入る。
1時間ほど歩いて水場に到着した。ここで軽く朝食をとる。朝早い睡眠不足の体は、なかなかエンジンがかからないがペースを守りながらブナ林の中を黙々と歩く。2年前に登ったときは熊の恐怖を感じたのであるが、今日はそんな心細い気持ちは全然ない。掘割になった登山道や、ガレバの脇を歩いて天狗原山に向う。途中、昨夜金山でキャンプを張った3人組パーティが下ってきて情報を交換する。
3時間半ほど歩くと登山道脇に小さなお地蔵さんが現れた。天狗原山の頂上を巻いていることが分かる。天狗原山の頂上はわずかな先で有るが登山道は伸びていない。ここまで来ると廻りは素晴らしいお花畑になっていて、疲れた体に心が和むのである。金山に向う下りでザックを下ろし一息入れる。小さな雪渓が目の前にあり、その先には裏金山から焼山・火打山が一望される。今日は山頂には雲がかかっていてカメラを向けるほどではない。
雪渓の上部を渡って水が流れる小沢を越えるとハクサンコザクラ・ハクサンフウロ・ミヤマキンバイ・アオノツガザクラ・・・・・等の群生する見事なお花畑が広がる金山山頂に到着した。いつもなら下山中に写真を撮るのであるが今日はこの可憐な花をカメラに収めなければと、思い切りシャッターを押す。金山山頂は雨飾山への分岐になっているが、焼山への道は標識がなかった。焼山へ向う登山道は金山をぐんぐん下り、笹薮の中に消える。それでも踏み跡はあり、薮を掻き分けると登山道らしきものが続いている。踏み跡を辿ると、ついさっき歩いたばかりの草の踏み跡や笹を掻き分けた跡があり、先行するものが有ることを実感し、少し安心するのであった。笹薮の中には赤いリボンもあって忠実に拾って進むと、シラビソの古木に掛けられた金山→焼山の朽ちた標識が現れた。意を強くして進むと裏金山にかかる。地図には北側をまくと書いてあるが、薮漕ぎの跡を追うとやがて途切れる。仕方なく背丈もあろうかと思う熊笹の中を強引に山頂を目指す。有に20分は格闘しただろうか、ようやく山頂にたどり着くが、ガスがかかっていて皆目方向が分からなくなってしまう。下方には雪渓が見えるが富士見峠は特定できない。尾根を外さないようにゆっくり下り始めるが10分も下ると道を間違えていると言う勘が働く。
踵を返し山頂に戻ると、突然爆竹の音が鳴り響いた。「誰かがいる。そこが目指す富士見峠である」ことを確信し、裏金山の山頂から北側に薮をこいで下る。笹原の中に薄いながらも、しっかりとした登山道が付いていて心も落ち着く。ガスのかかった登山道を進むとお花畑の中で突然2人組の登山者に会う。私は登山道に残された踏み跡や爆竹の音で先行者がいることを確信していたので、それほどの驚きでもなかったのであるが、ガスの中から現れた私に2人組はびっくりしている。そこから2人がテントを張った富士見峠までは10分であった。
金山からは1時間30分の所要時間と思っていたが、結局2時間半近くかかって12時を廻っていた。昼食もとらず焼山目指して泊岩に向う。少し北に下ると雪田があり格好の水場もある。しかし、そこから先に登山道も踏み跡もないのである。どう考えても、ここから焼山を登って、日帰りで登山口に帰るには時間切れであると判断する。諦めて富士見峠に戻ると先行者がテントの脇で休んでいた。「これから登山口まで戻る」と言うと「少し厳しすぎるから今日はここに泊まり、明日焼山に登って、私達一緒に沢をを下らないか、食料もあるよ」と親切にアドバイスしてくれる。
私も泊まる支度はしてこなかったが、「ツエルトと非常食があるので、ここで野宿して明日この人たちの後を続こう」と決める。そしてまだ時間も早いものだから、「今日中に焼山山頂を踏んでくる」といって出発する。先行者は信濃町の有力者で、この辺りの沢をを楽しんでいる大ベテランで、焼山を自分の庭にしているような方であった。
笹ヶ峰から笹倉温泉に通ずる旧道は廃道になっていて、殆ど通行不能になっている。「富士見峠から笹ヶ峰側に5分ほど下ると雪渓の残る谷になっているので、それを登り詰めると草付きになるので、後はまっすぐ山頂を目指せば一番近道だ」と言うベテランのアドバイスに従い、焼山を目指す。
雪渓の谷はわずかの距離でやがてダケカンバやハンノキの潅木の中をかき分ける。幸いここにも踏み跡らしきがあり、それを忠実に追う。一つ目の岩場を越えるとガスの先に山頂が見えてきた。更にキヌガサソウの咲く小潅木の中を登るとやがて草付きとなり、そして砂礫の道となる。
ここまで来ると山頂がしっかりと現れて、方角もはっきりするのである。適当に目標を決めて登りきると、やがて岩ににペンキマークが現れて山頂に導いていた。ウスユキソウの咲く火口原の一部に着くと、さらに岩場の先に溶岩ドームが聳えている。もうここまで来たのだから山頂を踏んだものと決めるが、矢張り三角点を踏まなければと思い、最後の岩場に挑戦する。被るような岩場であるがしっかりと鎖も掛けられていて、あっけなくよじ登ることが出来た。そしてその先を少し歩いて、ようやく憧れの焼山山頂に到着したのである。登山口を出て10時間を要していた。山頂で憩う間に雲はどんどん切れて、展望が開けてゆく。東南には火打山から妙高山、黒姫山から高妻山の山々が見える。そして西側には今日歩いてきた天狗原・金山・雨飾山、北側には海谷山塊の特異な山容の山々が見て取れる。ゆっくり景色を楽しみ、食事を取りながら休む。「来た甲斐があったなー」。矢張り自分の中では一番の名山と思っていた焼山山頂で思わず涙があふれるのであった。
名残を惜しみ、景色や草花をカメラに納めながら山頂を後にした。
「毎年ここの山頂に立ちたい」と思いながら・・・・・・。
下りは自分がつけた踏み跡をはずさないように慎重に富士見峠に下りたのである。
富士見峠に下り、ツエルトを張り、シュラフカバーにもぐりこんで一休みしているとベテラン2人がが戻ってきた。泊岩までの登山道を刈り払いしてきたと言う。二人のテントの中で酒を酌み交わしながら山談義に耽る。少し酔いが廻るとツエルトに戻り、寒さに震えながら明日の好天を祈り眠りに落ちたのである。

2日目
ツェルトの夜は悲惨なものであった。刈り払った草の上にシェラフカバーにくるまって寝たのであるが眠れる訳がない。深夜になると風が出てきてツェルトを吊したロープが緩み空間が狭くなりツェルトが顔にまとわりつく。更に2時頃には雨が降り出して滴が顔に当たる。気温も徐々に下り初め、体を丸くしていても寒さでゾクゾクと震えがくる。それでも何とか朝を迎えることが出来た。
外に出てみると廻りはガスの中で10m位しか視界が利かない。隣のテントでは朝のまどろみか寝息が聞こえる。私は今日の行動をどうしたらよいものか思案する。地獄谷を下るという二人は沢登りの相当なベテランであるし、とても私が付いて行けそうにない。
昨日来た道を戻ろうと決心し隣のテントに声かけて5時半にガスの中を金山に向かう。迷うことはないだろうと、歩き始めて10分もすると踏み跡を見失う。そのたびに尾根へ尾根へと道を選ぶのであるがいっこうに登山道には出ないのである。その内に急坂を下る尾根に出て、昨日裏金山でのことを思い出す。「この尾根は違う。ここを下ったら戻れなくなる」と恐怖感に襲われる。急いで踏み跡をたどり登り返す。そして「ここは富士見峠に戻って2人組(kさん)について沢を下ろう」と思う。時計を見ると出発してから1時間半以上経過していた。息せき切って富士見峠に戻るとKさんは既に出発した後であった。ガス深き中、どうしたらよいものかと再び思案する。それでもまだ近くにいるかもしれないと思い、霧の中に大きな声上げて名前を3回ほど呼ぶ。然し返答はない。仕方なく又裏金山まで慎重に踏み跡を拾いながら下ることにする。歩き始めて10分もすると後ろから私の名前を呼ぶ声が聞こえる。私はKさんが沢下りをあきらめて、こちらに回ったのだと解釈して小躍りして返事をする。そして登山道に立ち止まっていると、Kさんが霧の中から姿を現した。先ほど峠で上げた私の声を聞き取ったので、何か私の身にアクシデントがあったなと感じ、急いで迎えに来てくれたのである。九死に一生を得た思いで、Kさんのあとに続く。富士見峠から笹ヶ峰に下る旧道を少し下って樹林帯にはいると、もう一人のKさんが待っていてくれた。
小灌木の草むらを転げ落ちるように強引に雪渓の残る地獄谷に下る。危険な滝に来ると山中に入り高巻きを繰り返しながら慎重に下る。ベテラン二人の心遣いが手に取るように分かり感謝の気持ちで後に続く。適当に休憩をはさみながら6時間近くかけて乙見湖の上流に掛かる杉の沢橋に着いたのである。清流で体を拭いてさっぱりしているとkさんを回送するための車が来た。その車に便乗して、乙見山峠のトンネルを越えて金山登山口に戻ったのである。


焼山 ヤケヤマ 標 高 2400m 日本三百名山

山 域

頚城

登 山 記 録
登山月日 2004年4月25日
登山経路 笹倉温泉6:35〜途中の台地ロス約1時間〜アマナ平10:20〜焼山北面台地11:25/12:30〜笹倉温泉15:00
行動時間 登り 下り 合計(休憩時間含む)
天  候 快晴
メンバー 単独

情  報

アクセス R8から笹倉温泉目指す
トレイル 九十九折れの林道上部は残雪で道埋まっているので滑落注意。その先は樹林帯に入り道路が特定できない。残雪の中トレースを拾う。
水場・トイレ 登山口にある。
その他 山頂までの日帰りはハードな行程と思われる

山行記

秘湯の笹倉温泉には6時前に到着した。そこから僅かに上がった砂防工事の基地が登山口となっている。山スキーを楽しもうと若い夫婦が準備を進めている。近くはキャンプ場にもなっているのだろうか水のみ場もトイレもある。目の前には巨大な砂防ダムが出来ていた。焼山川の土石流防止のためであろうかと推測する。その先を見上げると標高差300mくらい上にこれから辿る九十九折れの林道が見える。
出来たらスキー隊の後を追いたいものと思うが、なかなか出発しない。トイレに入ったり荷物を詰め替えたりしているまにスキー隊が出発した。橋を渡って100mほど先の堰堤の下まで来ると、林道には残雪があり、スキー隊はここでスキーをつける。仕方なく私は「お先に」と林道に進む。こうなったら気持ちを変えて気合を入れて進むのみである。
林道下部は緩い傾斜地でショートカットを重ねて時間を稼ぐことが出来るが、やがて急傾斜の斜面に石垣を積んだ道路となる。雪が地形通りに残って、林道をふさいでいる。下を見るとかなりの急傾斜と高度があり、恐怖感を覚えるが、今朝降ったばかりの新雪の上にステップを切りながら慎重に進む。
やがて樹林帯に入り、ここからショートカットしている間に林道を見失う。先方に見えてきた焼山と右側に見える高松山をめがけて適当にアップダウンを交えながら新雪の上にトレースを踏む。
左側に見えてきた小高い丘が北面台であろうかと勘違いし、樹林の急登を気合を入れて登り切る。目の前に巨大な焼山と火打山が見えて小躍りする。ここで休憩を取る。しかし少し歩を進めると北面台地は、ここからさらに谷を越えた先であることを知り、道を間違えたことに気づく。目指す焼山までは随分と離れていて、不安になる。ここで引き返すわけにも行かないので地図を見ながら回りを観察すると、「アマナ平」の土石流警戒搭が下に見える。急いでもとの道に下りかけると、夫婦スキー隊がここに登ってきた。「見晴らしがよさそうだからここで休憩する」のだと言う。そして北面台へのルートを教えてくれる。
「アマナ平」は真っ白な雪原である。ここにキャンプを張って焼山をピストンするのもよさそうに思うが、今はそんなことを考えている暇はないのである。先ほどの小高い丘で、約1時間はロスしたので時間が気になるのであった。北面台地への急登も気合が入っているのであろうか、少しも苦にならない。
ようやく間違いなく北面台地に到着した。時間は登山口から5時間を越えて11時半近くになっていた。素晴らしいピーカンの空の下に火打山・焼山・高松山が目の前に聳えていて身震いするほどの感動である。昼食をとりながら北面台地から焼山の西側のコル・富士見峠方面に目を走らせる。
そんなに難しい登路ではないが、しかし時間がかかりそうである。どうみても山頂までここから3時間、往復5時間はかかる。そして下りが3時間とすれば明るいうちには登山口まで帰れそうにない。
「今日はこの素晴らしい景色を見ただけでも良し」として撤退を覚悟する。腹を決めると随分時が楽になりこの素晴らしい展望をカメラに納める。1時間ほど休み、往路はそれほどの落胆も無く下ることができた。
この素晴らしき焼山こそが、「私の1名山」になるのであろうかという思いがいっぱいであった。

焼山は登山禁止の山であり規制区域の2キロ以内に入ったので登山したものと勝手に解釈している。
しかし近いうちに、必ず山頂を踏みに来ることを誓ったのである。

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