東京マラソン2013敢走記


記録証と取材を受けた産経新聞記事

敢走記

50歳過ぎてから始めたランニングです。近郊の健康マラソンから始め、5年ほどでフルマラソン挑戦にまでモチベーションは上がっていました。1999年から長野オリンピック記念マラソンが地元で開催されたのもモチベーション向上になったと思っています。長野マラソンを11年連続出場の後、ホノルルマラソン・石垣島マラソン・大阪マラソンなどの遠征も経験しました。初めてフルマラソンに挑戦した1998年の大町アルプスマラソンから15年、出場大会も15回を数え完走率は8勝7敗です。
そして70歳の誕生日を2週間後に控えた今日、フルマラソンのラストランに選んだのが、若いころインフラ整備に汗流した大東京を走り抜ける「東京マラソン2013」です。以前から「東京マラソンを走るまではフルマラソンはやめない」・「東京マラソンを走ってフルマラソンのラストランにする」と心に決めていました。昨年9月、10倍超の競争率の中で出走権を得てから5ヶ月、700キロを超える走り込みをして万全の構えで本番に備えました。


<レース前>
レース前の前日上田から高速バスで池袋に向かいました。新幹線ですと1時間半もあれば十分ですが、高速バスでも3時間の旅です。久しぶりにバスに乗ってみたくなりました。

池袋から山手線で新橋へ、新橋からは「ゆりかもめ」に初めて乗って東京ビックサイトに向かいました。

ナンバーカード交付のためです。

ナンバーカード交付会場は大賑わいで、明日出走するお笑いタレントの猫ひろしが盛り上げるブースやQちゃんなどが軽妙トークで盛り上げていました。


その後は新しくなった東京駅などを見物した後、40年も前からの旧友宅に向かい、数年ぶりの旧交を温めて、新宿のホテルで前夜を過ごしました。


<レース前>
吉野家の朝定食でしっかり腹ごしらえの後スタート地点の都庁前に向かいました。
スタート会場は厳重な警備でランナー以外は入場できません。
7時半にゲートが解放されて会場内に入りました。

ランニングウェアーに着替え、荷物を預け軽くストレッチです。
この時の気温が3℃くらいで、ビル風も吹きぬけて寒さに震えます。



最後方のKブロックのランナー集合地点には8時に並びました。
これからスタートまでの1時間以上はまさに修羅場でした。
当初から危惧していた通り、寒さと強風でランナーみんなが体を揺すり手をこすり合わせながら寒さをしのいでいます。私は手袋も荷物と一緒に預けてしまいさらに悲惨な思いをしました。集合場所に並ぶと移動が禁止されて歯をがちがちさせながら寒さをしのぎました。結局同じ場所で1時間以上スタートを待ったわけで股関節が痺れてくるほどの苦痛で、更に尿意ももよおしてきます。これは大会関係者に一考してもらいたいと思いました。


9時10分、号砲と花火が上がってスタートです。
しかし最後方ブロックではスタートの興奮も冷めたものです。スタート地点の都庁前まで長い長い行列を作って進みます。

 



<スタートから5キロまで>
号砲が鳴ってから15分後にようやくスタートラインを踏むことができました。

寒さで硬直した体を早く温めようと気合が入っています。
都庁前からは緩く下ってゆくのでペースも上がります。靖国通りを道幅一杯になってランナーが駆け抜けてゆくさまはまさに勇壮そのものですね。応援団も盛り上がって新宿が叫んでいます。
防衛省を過ぎて外堀通りに出ます。以前行われていた東京国際マラソンの35キロ地点付近を走り、飯田橋の手前で5キロ地点通過です。体も暖まってここまで快調な滑り出しです。「スタート直後はランナーが多くて、自分のペースで走れないのでは」と云う不安がありましたが、予定タイムで通過して安堵しました。

(5キロ通過タイム32’30”)



<10キロまで>
飯田橋の駅を右に曲がって目白通りに入りました。いよいよ快調に走れて「今日はもしかしたら自己新が・・・」と思うほどです。
西神田から首都高の下を抜けると竹橋です。そして目の前に皇居が・お堀が見えてきました。

 

内堀通りに入り皇居前広場二重橋を見ながらまさに夢の中を走っている感動です。

復元された東京駅も左側に見えましたがカメラには入りませんでした。

まだまだ快調に走っています。
祝田橋を左に曲がって銀座に向かい日比谷通りに入ると10キロ地点です。
5キロラップタイムが前の5キロより1分遅れで予定タイム通りです。このままいければと云う思いが強くなりました。
反対車線には先行ランナーが爆走していました。
猫ひろしが観衆に手を振りながら駆け抜けてゆくのが分かりました。


(10キロ通過 1:06’00” 5キロラップタイム33’30”)



<15キロまで>
日比谷通りを5キロ先の品川まで目指します。少しは集団もばれてきます。
芝公園まで来ると東京タワーが右側に現れます。
東京タワーの真下で昭和43年上水道管渠敷設のシールド工事に従事したことが蘇ります。
確か永山事件があったのもこの年だったようです。「あの頃はまだみんな貧乏だったな~」


品川駅前の折り返し点の少し前が15キロ地点です。
少し疲労を覚えるようになりましたがまだまだ問題ありません。
ここも予定通り、5キロラップタイムが1分以内の落ち込みで通過です。

(15キロ通過 1:40’14” 5キロラップタイム34’14”)


<20キロまで>
15キロ地点から500mほど走って日比谷通りを戻ります。矢張り折り返してくると反対側の選手が良く見えてもがいている選手が多いですね。ここら辺りまでトイレを我慢してきましたが我慢の限界が近づいています。トイレブースに来ると何所も長蛇の列で「10分はロスタイムがあるな」と思うととても列に並ぶ気にはなりません。道路脇のコンビニに飛び込むランナーも見えますがこれは違反行為ですので真似したいと思うのですが真似は出来ません。
そして再び祝田橋から銀座に向かう通りに出て20キロ地点です。
5キロラップタイムの落ち込みが大きくなりました。

(20キロ通過2:16’00” 5キロラップ36’44”)



<25キロまで>
いよいよ銀座への道を走ります。有楽町の手前が中間点です。中間点通過は2時間24分32秒でした。少しずつ遅れが大きくなってきましたがこの時点ではまだ心配ありません。ガードをくぐって西銀座を通過です。
若いころ平尾正明やミッキーカーチスなどのウェスタンカーニバルで熱狂した日劇のあった場所ですが、日劇は今いずこですね。

 

そして銀座4丁目に差し掛かります。
まさに夢に見た光景です。
「今俺は銀座を走っているのだ」と得も言われぬ感動が体を走り抜けます。



しかし現実は尿意を抑えることができなくなってきたことです。
銀座を走り抜け、京橋のガードの下のトイレブースに駆け込みました。行列は30人くらい並んでいました。「トイレを済ませるまで10分はかかる」と思うと気もそぞろですが、「もう我慢の限界を超えていて水分補給もできない」と思うとやむを得ません。脇を走り抜ける後続ランナーを羨ましげに見ながら、結局10分のトイレ待ちロスタイムが発生してしまいました。しかし走りを再開すると10分のロスタイムでは済まされないアクシデントであったことを知るのでした。
コースに戻り走り始めたのですが、10分間のロスタイムの間に筋肉が弛緩し走ることができなくなりました。それでもだましだまし走りを始めて、ゆっくりながらも走ることを継続するようになりました。
京橋から日本橋と走り日本橋を右に曲がり茅場町から新大橋通江戸通りを走って25キロ地点です。トイレ待ちのロスタイムと筋肉疲労でテンションは一気に下がりました。

(25キロ通過3:05’01” 5キロラップタイム48’32”)


<30キロまで>
足は上がらなくなり厳しい試練の時が来ましたが、足を止めるわけにはゆきません。とにかく前に進むだけです。そしてその先に待っている人がいるのです。
26キロ付近の浅草橋の手前の橋に差し掛かると「頑張って永井さん」の看板が目に飛び込んできました。数年前北アルプス笠が岳に息子と二人でテント山行した際に知り合い、あの難関クリヤ谷を一緒に下った新川さんがご主人と二人で待っていてくれたのです。事前に連絡取りあっていたのでそれほどの驚きはありませんでしたが、やはり友情にはうれしいものがあり思わず涙があふれるのでありました。
差し入れのウィダーゼリーとチョコレートを口にして、しっかりと前を向いて再び走り始めました。


駒形橋に来るとこのコースで初めて東京スカイツリーを目にすることができました。
撮影ポイントになっていて大勢のランナーが足を止めてカメラを向けています。反対側は折り返してくるランナーです。

 


そして浅草雷門に着きました。雷門から吾妻橋に向かうと再び東京スカイツリーです。


江戸通りに戻り銀座方面を目指します。
このころになると既に足は限界に達していましたが、これからがフルマラソンの修羅場という事を経験していますので、「とにかく足を止めない」という事にしました。「練習時に走り込んだ最長30キロまでは絶対ウォーキングに入らない」ことを心に決めていたのです。雷門を折り返して浅草橋が30キロ地点です。
ここで足を止めました。もう5キロラップタイムなど気になりません。

(30キロ通過3:48’59”  5キロラップタイム43’58”)


<35キロまで>
もう何も考えることはありません。とにかくゴール目指して一歩でも歩を進めることです。そして給水所でしっかりと水分補給することです。風邪も強くなってきて時々ビル風が突風となって吹き荒れます。走っている間は体温も上昇ですが、ウォーキングに入ると一気に寒さが体感できるようになってきました。キロ表示が来ると足を止め100mほどウォーキングしながら900mを走るパターンにしました。
そしてまた日本橋に戻ってきました。
トイレ待ちタイムでダメージを受けた京橋を過ぎて銀座通りに来ました。
もうよれよれですが銀座で無様な姿を見せるわけにはゆきません。気合を入れて走り抜けました。



銀座4丁目を左に曲がり新歌舞伎座の前を通過です。そして隅田川を渡ります。

 

 

築地4丁目が35キロ地点です。まだ少し余力を残して何とか35キロ地点まで来ました。
2割近くはウォーキングでしたからタイムの落ち込みは仕方ないですね。

(35キロ通過4:34’46”  5キロラップタイム45’47”)



<40キロまで>
ここまでくればゴールまではもうそれほど心配することはありません。半分はウォーキングのみすぼらしい格好ですが、周りはほとんど同じランナーばかりです。時々思い出しては走ってもそれほど先にはゆけません。周りのランナーが仲間に見える時間帯です。それでも半分くらいは手を振り走る格好を続けて前進します。風も強くなり、気温が下がってくるのも実感できて少し悪寒が走るときもありました。
佃大橋通から豊洲に入り、晴海通りを東雲1丁目を右に回ると40キロ地点です。なんとかここまでこぎつけてゴールも間近と思えば一安心です。


(40キロ通過5:24’45”  5キロラップタイム49’58”)


<ゴールまで>
あと2キロ、もう心配はいりません。寒さで少し心臓が躍りそうになり、時々吐き気を覚える時もありますが、我慢我慢です。少しは沿道の声援に手を振る余裕も出てきました。そしてどんな格好でゴールしようかと思う余裕もわいてきます。
ゆりかもめの有明駅があと1キロ地点です。
沿道の係員にお願いして初めて自分の写真を撮ってもらいました。



残り1キロ、大きく手を振ってゴールを目指します。
ゴールが目の前に来ました。最後の気力を振り絞ってランナーが飛び込んでゆきます。



ゴールに着きました。ここでも係員にシャッターを押してもらいました。
まさに感動の「東京マラソンのゴール・カモシカ永井のフルマラソンのフィナーレ」です。



(フィニシュタイム5:46’55”) スタートから自己計測によるもの


疲労困憊でくたくたになった体でゴールラインを踏んだ後、「フルマラソンのラストラン」と「思い出多き東京の街に感謝の念を込めて」走ってきたコースを振り返って一礼しました。これは今回絶対にやろうと思っていたことです。


ウィニングロードを歩き始めると観客席から「永井さんおめでとうございます。お疲れさんでした」と声がかかりビックリです。
実は産経新聞から取材要請を受けていて、私のゴールを待ちわびていたM記者さんからの声でした。

フィニッシャータオルや完走メダルを首にかけてもらい休憩場所に来て取材に応じました。


「カモシカ永井」フルマラソンのラストランをなんとか飾ることができました。
挑戦16回、完走は9回です。それぞれの大会に思いは強く残っています。しかし2週間後に70歳を迎える今、もうこれほどきつい負荷を体に与えることは無理だと自覚しています。
今まで頑張って走ってきたことは自慢できることだと思っています。まさに「冥土の土産話がまた一つ増えた」というものです。


ランニングの記録に戻る