白根三山縦走記

北 岳 キタダケ 標 高 3193m 日本百名山 山 域 南アルプス
間ノ岳 アイノダケ 標 高 3190m 日本百名山 山 域
西農鳥岳 ニシノウトリダケ 標 高 3061m 山 域
農鳥岳 ノウトリダケ 標 高 3026m 日本に百名山 山 域
登 山 記 録
登山月日 2016年8月14日〜8月17日
登山経路 8月14日
仙流荘8:00=バス=北沢峠8:55/9:40=バス=広河原10:00/10:20〜(ロス約1:40)〜二俣14;35/14:40〜稜線17:00〜肩の小屋17:40
8月15日
北岳肩の小屋8:00〜北岳8:50/9:10〜北岳山荘10:00/10:30〜間ノ岳13:00/13:05〜農鳥小屋14:20
8月16日
農鳥小屋5:05〜西農鳥岳6:15〜農鳥岳7:10/7:40〜大門沢下降点8:20/8:35〜大門沢小屋12:00/12:55〜林道登山口16:00〜慶雲隧道16:45〜奈良田17:05
8月17日
奈良田9:05=バス=広河原9:50/12:30=バス=北沢峠12:55/13:10=バス=仙流荘13:55
行動時間 第一日目 7時間20分  第二日目 6時間20分 第三日目 12時間 (休憩時間・ロスタイム含む) 
天 候 第一日目 晴 第二日目 霧 第三日目霧後晴れ
メンバー 親子二人連れ登山隊
情   報
アクセス 仙流荘からバスを乗り継いで広河原へ
トレイル 人気の百名山トレイルも大門沢の下降は厳しい道が続く
水場・トイレ 水は大樺沢と大門沢で沢水取れる他各小屋で トイレは登山口と各小屋で
その他 3日目の農鳥岳からの大展望でモヤモヤが吹き飛んだ
山行記

第一日目


広河原の野呂川にかかる吊り橋を渡って大樺沢へ


二俣から草すべりを登って稜線に

当初は北岳から塩見岳方面への縦走を考えていたので、仙丈ケ岳・甲斐駒ヶ岳の登山基地仙流荘に車を停めて北沢峠〜広河原へとバスを乗り継いできた。広河原出発は10時過ぎであったが、今日は北岳肩の小屋のキャンプ場まで5時間コースであるから余裕の出発であった。野呂川にかかる吊り橋を渡って登山指導所券キャンプ場管理棟の登山ポストに登山届を出して大樺沢への道に入る。30分ほどで白根御池小屋方面への分岐に着いた。8年前はこの分岐を見落として御池小屋への道に入り急登を余儀なくされた苦い思い出がよみがえる。分岐で一息入れた後大樺沢を二俣目指してムスコを先に行かせる。30分に一本立てるように言ったのであるが、二俣直下まで1時間半ほど歩いても登山道にムスコが姿を見せない。途中に迷うような道もなく、行き交う登山者に情報を問いかけるが良い情報がなく不安になった。ある登山者が「川原を歩くコースがある」と云うことを教えてくれたので「途中川原コースに迷い込んだのだろうか」と思い、二俣まで20分ほどの場所にザックをデポして標高差400mを大樺沢にかかる鋼製の仮設橋まで下った。しかし川原に入る道はなくムスコの姿も見えないので、先に行っていることを信じて登りかえしである。下り40分登り1時間のアルバイトであった。
重いザックを担いで八本歯のコル・御池小屋・肩の小屋分岐になる二俣に来たがムスコがいるわけがない。二俣で一息入れた後、最悪事態を想定しながら急登の草すべりを登り始めた。二俣までの大樺沢の緩いトレイルとは一変し、急登の連続で悲鳴が上がり、不安な心にザックが肩に食い込み一気にテンションが下がるがここで泣き言は言っていられない。何とか踏ん張って草すべりを小太郎尾根の稜線に登り着くと17時を回っていた。(余裕があれば草すべりの素晴らしいお花畑が楽しめるところであった。)
緩いながらも所々岩稜帯もある稜線をキャンプ場まで登りきり、テント場にザックを置いて肩の小屋に行くと1時間ほど前に登り着いて私の来るのを待っていたというムスコが大きく手を振ってきた。最悪事態を免れて胸をなでおろすのであった。キャンプの手続きをしてテント場に戻りテントを張った。
最近は力がついて登りは重いザックを担いでも随分と私よりは早く歩くムスコである。私が「白根御池小屋コースに入って遅れているのではないかと思って草すべりを登って、肩の小屋に先着した。稜線直下で御池小屋からのコースが合流したのでお父さんはここを登って来るのだなと思った」と云うことで、ムスコにもしっかりした判断能力が付いたものと思い少しうれしい気分になったのである。もちろん愛おしく思ったものである。
テントの中でムスコはコンビニ弁当の夕食を摂ったが、私は疲労と不安のストレストで脱水症状気味で食欲がわかない。ビールと焼酎を少し飲むと何も食べずに寝袋に包まった。

結局体力消耗が激しいことと、明日以降の天気が台風七号の接近により悪化傾向であることから、塩見岳方面への縦走を諦めて間ノ岳から農鳥岳に回り、大門沢を下る白根三山縦走に切り替えた。


第二日目


肩の小屋でキャンプ


仙丈ケ岳・鳳凰山地蔵岳


北岳山頂から北岳山荘に下る


中白根・間ノ岳山頂

北岳肩の小屋の一夜は夜間時々フライシートを揺する風が吹き朝方に霧雨が舞ったが概ね静かな夜で熟睡までとはいかないが疲れた体に生気が戻ることができた。食欲も戻って朝食は大事を取ってみそ汁と朝粥をすすった。ムスコはしっかりとアルファ米の朝食を摂って出発である。今日は農鳥小屋までの6時間コースと思えば火が高く登った8時の出発でも余裕である。
霞み勝ちながら眼前の北岳山頂・仙丈ケ岳・甲斐駒ヶ岳・鳳凰山そして富士山などの大展望が開ける中肩の小屋脇を抜けて北岳山頂に向かう。昨日の疲労残りがあって今日もムスコに遅れるが、前を行く男女数人パーテイとペースを合わせてゆっくりと歩き、肩の小屋からは50分ほどで20人ほどの登山者で賑わう北岳山頂に登り着いた。山頂に着くころにはガスが上がってきて展望は得られなかったが岩陰に腰を下ろして20分ほど滞頂した。
岩稜の道を慎重に下って北岳山荘に着いた。エコトイレの借用と水を補給して、間ノ岳への道に入いり、最初のピークに登り着くころには霧雨が舞いだして早めに雨着を付けたがここで逡巡である。「3時間雨を突いて間ノ岳から農鳥小屋に入る」か、「30分で北岳山荘に戻ってゆっくりと過ごす」か、二者択一である。なまけ心が勝って一旦北岳山荘に戻ろうと下りかけたが「矢張り前進しよう」と決意して霧の中間ノ岳に向かう。
霧雨は徐々に強くなり合羽を濡らして体に滲み始める。北岳山荘から2時間と思っていた間ノ岳は結構距離もあって、雨着を付ける時間も含めて2時間半を要した。間ノ岳山頂に着くころは霧雨は収まっていたが靴の中まで雨水が滲み込んでいた。山頂の岩陰で一息入れて「農鳥小屋1.8キロ・1時間10分」の標識に急かされるように間ノ岳を後にした。
間ノ岳からの下り道は緩く快適に下って行き、霧で展望がないのが残念である。下り足の遅いムスコに「自分のペースでしっかりペンキマークを追うように」指示して私は先を行く。14時過ぎには農鳥小屋に入った。農鳥小屋は山小屋と云うよりは避難小屋程度である。名物小屋番に年齢を聞かれ「73歳」、「昔野呂川発電所工事に来ていた」と話すと態度が変わった。雨宿りに寄った先着登山者は数人でその後もテントを張るのを諦めた男女パーテイなど12人ほどの宿泊者であった。原則素泊まりの小屋で寝袋持参者は4500円の宿泊代であった。小屋で提供される夕食は午後4時半からで自炊者も4時には夕食の支度をはじめ5時には床に就く者もいるほどであった。当然私たちも早めに粗末な夕食を済ませて早々と毛布にくるまった。(持参した寝袋は面倒なので小屋の寝具を借用した)



第三日目


夜明け前に農鳥小屋を出る・霧の中の西農鳥岳


霧が晴れてきた農鳥岳山頂


西農鳥岳方面


標高2位・3位の北岳・間ノ岳


大展望に酔いしれて農鳥岳を後にする


隣で寝た若者二人は奈良田からの身延行バス時刻に合わせるべく3時には小屋を出て行った。当然支度があるわけで2時ごろからガサゴソ始まっていたのでとても寝ていられる状態ではなく、寝不足気味の朝を迎えた。小屋の朝食は4時ころからで、私たちも4時前には起きて、ムスコはお餅入りのラーメン、私はアルファ米の朝食を摂った。「今日は天気が崩れるから早く小屋を出て」と小屋番に急き立てられて5時には霧雨舞う中小屋を出た。小屋前のトイレは恐ろしく旧式で驚きであった。
早出ではあったがヘッドランプを点けるほどでもなく岩稜にペンキマークを追った。いきなりの急登を凌いで岩稜の稜線をアップダウンを繰り返しながら西農鳥岳を超えて行く。朝露に濡れたトウヤクリンドウ・タカネリンドウが美しい。寝不足気味ながらも農鳥小屋でしっかりと休養を取ったので、3日目はそんなに遅れずにムスコの後を追うことができた。農鳥小屋から2時間少々で小屋を先に出た男女パーテイが展望を楽しむ中農鳥岳に着いた。周囲のガスは上がったがまだまだ遠望の利かない中である。私たちが登り着くのを待つかのように男女パーテイは名残を惜しみながらも下山して行った。
待つこと10分、北岳から間ノ岳など歩いてきた道の展望が開け始めて興奮する。飽くなき展望を何枚もカメラに収めたのである。塩見岳・荒川岳・赤石岳や富士山方面は中々晴れてくれなかったのは残念であったが大展望に酔いしれて農鳥岳を後にした。
左手に来月登頂予定の大唐松山を見ながら大門沢下降点には農鳥岳から50分ほどであった。ここで雨着を脱いだ。大門沢は過去登り下りともに大きなザックを担いで2回ほど歩いていて下降点は懐かしいばかりだ。すっかりと晴れ渡った先に農鳥岳が美しく聳えていて名残惜しいばかりである。「大門沢小屋まで3時間」を覚悟して這松帯に入った。


大門沢下降点


巨石の道を下る


大門沢小屋・ここまで下れば



大唐松山

這松帯をゆっくりと下り8年前テントを張った露岩の場所を懐かしく眺めながら樹林帯に入る。ここからが難所の巨石ゴーロの道であって、ムスコのペースがガクンと落ちる。何度か足を止めながらアドバイスするのだが私より倍近い時間が掛かるのである。「まあ慌てることもないか」と少し先を歩いては待つことしばしを繰り返しながら下って行く。途中で軽荷の若者2名とデカザック担いだ単独行と交差し励まし合う。大門沢が合わさる地点に来ても沢を流れる水量は少なく、合わさる支沢には水が流れていなかった。何回か休憩をはさみながら最後は「大門沢ノ小屋で待っているから」と私は先を急いで、12時丁度大門沢小屋に着いた。ムスコは10分ほど遅れての到着であった。小屋周辺は樹林の中にテントも張れる絶好の幕営地であり、私は「農鳥小屋を出て7時間、ここにテントを張っても良いかな」と思うのであったが、ムスコは「頑張るから奈良田まで下ろう」という。既に奈良田から広河原に向かう最終バスには間に合わない。奈良田のバス停にテントを張ることを覚悟した。ムスコは足に肉刺を作ってしまい痛々しいばかりである。バンドエイドで応急処置をした。
小屋のベンチでコーラを飲んでラーメンを作って昼食とした。「奈良田まで3時間」の標識を見て「ここも4時間はかかるな」と声かけて13時前に大門沢小屋を後にした。勾配は緩んだものの相変わらずの悪路が続き、ペースは上がらず私のイライラは募るばかりであってムスコが可愛そうに思うのだが致し方ない。ここも何度か先に下ってムスコを待つをを繰り返すばかりであった。急坂は少ないが崖の中間に切られたトラバース道は滑落の危険もあり慎重に下った。やがて発電所の取水堰堤に出て大門沢にかかる吊り橋を渡る。そして大きな砂防堰堤を越えて「モリヤマ橋」の大きな吊り橋を渡ると林道終点の登山口であった。しかしここが終点ではない。舗装道路を40分ほど下ってバスが走る県道の慶雲トンネルには大門沢の小屋から思い通り4時間ほどかかって16時45分であった。さらに20分ほど歩いて疲労困憊のムスコを引きはなして17:05奈良田の第二駐車場に下り着いた。
駐車場にテントを張るものはみられなかったが大きな駐車場の隅にテントを張った。足を痛めたムスコを庇いながら持参した食料を調理して夕食を摂った。ビールが飲めなかったのは残念であるが充分残った焼酎で二人ともほろ酔い加減になるほどであった。


第四日目

広河原に向かう第一便のバスは5時半出発で、深夜早朝乗り付けた車で駐車場に張ったテントの中ではその都度起こされて寝心地は良くなかった。広大な駐車場だから「もっと端に停めればよかったな」と思ったが後の祭りである。一便のバスが出ると静寂が戻った。7時半まで横になっていて朝食も取らずにテントを撤収・パッキングを済ませて9時発の第二便のバスに乗った。
野呂川渓谷は53年前の昭和38年、20歳の青春を過ごした地で懐かしいばかりだが、ほとんど記憶はなかった。広河原に着くと北沢峠行きのバス時刻まで2時間半もあるので、事務所やガッ色の立っていた野呂川橋付近を散策して昔を懐かしんだ。キャンプ場の自動販売機でビールを買ってきてバス乗り場付近のベンチでうどんを作って朝食券昼食とした。



野呂川橋の前で・野呂川発電所取水堰堤


変わらぬ姿の吊り橋と北岳バットレス

広河原12:30のバスで北沢峠に向かい、北沢峠では待つ間もなく13:10の仙流荘行きバスに乗り換えて4日ぶりに仙流荘に下った。塩見岳への縦走は叶わなかったが白根三山縦走で今年も良い思い出の「親子二人連れ登山」ではあった。


北岳 キタダケ 標 高 3192m 日本百名山

山 域

南アルプス
間ノ岳 アイノダケ 標 高 3189m 日本百名山

山 域

南アルプス
農鳥岳 ノウトリダケ 標 高 3026m 日本二百名山

山 域

南アルプス
登 山 記 録
登山月日 2008年9月12日〜14日
登山経路 9月12日
芦安P6:00〜タクシー〜広河原6:45/7:10〜白根御池小屋9:55/10:10〜小太郎尾根12:45/13:20〜北岳肩の小屋13:40(幕営)
9月13日
肩の小屋6:30〜北岳山頂7:10/7:25〜北岳山荘8:10/8:30〜間ノ岳10:25/10:40〜農鳥小屋11:50/12:35〜農鳥岳14:25/14:35〜大門沢下降点15:15/15:25〜大門沢幕営地15:50
9月14日
幕営地6:00〜大門沢合流点7:05〜大門沢小屋7:55/8:10〜林道終点登山口10:15〜奈良田発電所10:45/11:20〜バス〜広河原12:10/12:30〜タクシー〜芦安P13:10
行動時間 第1日 6時間55分 第2日 9時間20分 第3日 4時間45分 
合計 21時間(休憩時間を含む・バス又はタクシーによる移動時間は含まず)
天  候 第1日晴 第2日薄曇 第3日曇
メンバー 山友ほろしり氏と二人

情  報

アクセス 芦安駐車場まで問題なし
トレイル 良く踏まれた人気の日本百名山コース
水場・トイレ 各小屋にある
その他 秋の連休の一日前で割りと空いていた

山行記

第一日目


白根御池小屋〜急登の草すべりを登る


(仙丈ケ岳)   小太郎尾根に登りつくとこの景色が   (甲斐駒ケ岳)


北岳肩の小屋にテントを張る    (仙丈ケ岳も暮れる)

北海道の山友ほろしり氏を甲府駅に迎える。途中コンビニで翌日の朝食と昼食を購入し、芦安の第3駐車場に車をつけて仮眠を取る。
翌朝5時には起きて6時の乗り合いタクシーに乗る。定時のバスは平日にもかかわらず満員で立つ者も出たようである。勝手知ったる野呂川林道を走って7時前には広河原に着き、野呂川に掛かる吊り橋を渡って広河原山荘の前で朝食のおにぎりを食べる。
広河原山荘脇の登山道に入るが案内看板には「白根御池小屋」とあり、一旦戻って確認するが「大樺沢」の案内看板も出ていたので間違うことのない「大樺沢二俣」への道と思い先を進む。しかし「どうもおかしいぞ」と思う頃にはシラビソの根が張る白根御池小屋への登山道を相当先まで入ってしまっていた。途中大樺沢二俣への分岐の道もないし看板もなかったので「何処で間違えたかな」と考え込んでしまうが、戻るわけには行かない。結局白根御池小屋までの急坂を登る羽目になってしまう。それでもこちらの道も結構整備も行き届いていて、30分に一度の休憩を取りながら3時間のコースタイムを15分短縮して御池小屋に着くことが出来た。
白根御池小屋は新築なってすばらしく立派な建物である。北岳登山のビギナーや広河原を午後からの登山者には格好の山小屋である。ここで休憩を取りながらこれから登る草すべりを見上げる。先行する登山者が草付きを喘いでいるのが良くわかる。
少し汚れの目立つ白根御池を見て草すべりの道に入る。御池小屋までの急坂に輪をかけたような傾斜の道で小石が混じるザレタ登山道に変わる。御池小屋までの急坂を凌ぎ、キャンプ道具と食料の入ったザックが肩に食い込み相棒のほろしり氏の足の動きががいっぺんに鈍くなる。ゆっくりと進むが息も上がってきた。休み休み小太郎尾根まで御池小屋からは2時間半掛かって登りつく。ほろしり氏は遠来の疲れも重なりホウホウの態で登りつく。
今日の泊まりは北岳越えて北岳山荘にテントを張ろうと思ったが肩の小屋泊まりに変更する。午後2時過ぎにはテントを張ってゆっくりとした時間を過ごす。これが良かったのかほろしり氏も疲労回復が図れたものと思う。私はビールと焼酎を飲みご機嫌な気分になりながら、夕飯はしっかりと取って風もない十三夜の月が煌々と照らす、静かな北岳肩の小屋の一夜を過ごすことが出来た。


第二日目


標高日本第2位の北岳山頂に立ち、ほろしり氏も大満足


秋色に染まる間ノ岳と北岳


間ノ岳山頂と農鳥岳への登山道から見る間ノ岳


間ノ岳の下りから見る農鳥岳と農鳥岳山頂


農鳥岳に咲くトウヤクリンドウとミヤマアキノキリンソウ


大門沢下降点への道と下降点で

しっかりと休養がとれて昨日の疲労回復はなった。朝食をとり、パッキングを済ませると6時半の出発となった。
今日の行程は長い。北岳に立ち、間ノ岳・農鳥岳越えて、大門沢を下らなければならない。CTは10時間を越える長丁場に身が引き締まる。
肩の小屋からは岩稜の道を40分で北岳山頂に立つことが出来た。薄雲りながら南アルプスや中央アルプス・八ヶ岳の高峰が雲の上に頭を見せていた。私は今年2回目通算5回目の山頂で景色に恵まれたのは3回目である。初めての南アルプスで大展望に預かるほろしり氏は見とれるばかりだ。縦走者はすでに山頂を跡にして先を急いでいるのも見えるとゆっくりはしていられない。20分ほどの滞頂で北岳を後にする。
登山道脇の名残の花をカメラに収めながら北岳山荘に下る。北岳山荘で飲料水を補給し一息入れて間ノ岳へ向かう。平日のせいか前後を歩く登山者は疎らである。途中から青森から来た夫婦連れ登山隊と話をしながら間ノ岳には北岳山荘から2時間を切って到着した。どうやらほろしり氏の体調不安もなくなったようで一安心である。私も2ヶ月前仙丈ケ岳から仙塩尾根を歩いて登りついた懐かしい峰に立って大感激である。塩見岳や荒川岳・赤石岳方面の南アルプス南部の山も一望できる。ここも長居は無用と15分で後にする。登山計画では2泊3日の白根三山縦走だからゆっくり歩けるものと思ってきたが中々思うようには行かないもので遠来のほろしり氏を急かせる様で心苦しい。
間ノ岳からはざれた道を農鳥小屋に下る。目の前に赤い屋根が見えるのだが中々先は遠い。右側から三国平からの道を合わせ10分ほどで農鳥小屋のテラスに到着した。名物管理人が腰を下ろして私たちが下ってくるのをずーと追っていたのである。
岩陰でラーメンを食べながら管理人の様子を伺う。「これから何処まで行くのか、あんたたちの足では大門沢の小屋までは無理だよ」と強烈なパンチを見舞われる。私は「45年前、広河原の取水堰堤の工事をした者だ。その当時、農鳥小屋はなく、ここから真っ直ぐ荒川(野呂川の支沢)を下り、野呂川発電所まで下りた事がある」などと会話が始まると「なーんだそれじゃこの辺のことは良く知っているじゃないか」といっぺんに打ち解けて話が弾むのであった。
要するに「大門沢の小屋まで行けなくても登山道脇にいくつかの避難用のテントが張れる場所があることを知っている」と言うことである。
40分ほど休憩し昼食を取った後、12:30にビールを1本所望して管理人に挨拶して農鳥小屋を後にする。管理人は「俺は知らないよ、怒られるぞ」と言って見送ってくれた。
西農鳥岳への登山道も急登が続く。ゆっくりゆっくりそして農鳥小屋を振り返りながら高度を稼ぐ。野呂川側からガスが上がってきたが天気の崩れは心配することはない。後には先ほど下った間ノ岳の巨体が聳えていた。稜線に登りつくと農鳥岳への登山道が山腹を巻きながら延びていて良く見える。結構アップダウンがあり先も遠くに見える。西農鳥岳と三角点がある農鳥岳の間には大きなギャップがあり、ここを超えてゆかなければならない。白根三山縦走路では一番の厳しい岩稜帯でもある。それも長いことはないギャップを過ぎて緩やかに登って農鳥岳山頂に立つことが出来た。私にとって7年ぶり2度目の農鳥岳である。目の前にあるはずの塩見岳方面はガスが覆っていた。山頂付近にはトウヤクリンドウやアキノキリンソウが咲き誇っていた。10分ほど滞頂の後、大門沢下降点に向かう。
私にとって南アルプス主要稜線の残された空白区間である。正に祝うかのように優しく、登山道脇には秋の花が開く道が待っていてくれたのである。大門沢を登ってきた夫婦登山隊が喘ぎながら行き交う。農鳥小屋へはまだまだ先が長い、今日中に入れるだろうかと心配しながら大門沢下降点に到着した。北岳からの稜線漫歩はここで終着である。私は大門沢を2回もテントかついで登りついた場所に少々感激である。この辺りには、不法にテントを張った形跡も何箇所か見える。しかしここにテントを張る気持ちにはなれない。まだまだ余力は十分、ハイマツ帯を下り始める。
今日も行動時間は既に9時間を越えている。ここから2時間半かけて大門沢小屋のテント場までは体力的にも時間的にも無理である。そう思いながら30分も下るとハイマツ滞が潅木に変わる境界付近に露岩が見え、その脇に絶好の場所があった。迷うことなくそこで幕営することにする。岩場が風除けにもなっていて満月に近い月を見ながらの静かな夜でゆっくりと休めたのである。


第三日目


稜線から一気に大門沢を下る


吊り橋を3回渡ると林道終点登山口に着く


大門沢の林道終点には巨大な砂防堰堤が建設中であった

夜が空ける前にパラパラと霧雨が舞って、テントを叩く。5時起床・朝食をとって6時丁度に幕営地を出る。ダケカンバ等の潅木帯を下り、シラビソの大木が茂る樹林帯に入ると巨石がゴロゴロと点在する難関の急坂となる。しかし慌てることはない。足元に注意しながらゆっくりと下る。私はここを2回もテントを担いで登った道で、下ることも2回目であり、懐かしさもこみ上げてくる。
急坂を下りきると左側に大門沢が水音を立てて流れている。10分ほど下ると大門沢の川原に出る。ここで3日ぶりに顔を洗い、さっぱりすることが出来た。一息入れながら大門沢を見上げると稜線もきれいに晴れて見える。3日間の山中パラパラと来たこともあったが濡れることもなくこれたことが本当に嬉しかった。
後は大門沢の瀬音を聞きながら下るのみだ。大門沢小屋には8時前に着き、11:15分の広河原行きのバスの時間にも余裕が出て安心する。大門沢小屋から3時間あれば奈良田の発電所前に下りつくことは3年前に実証済みであるからだ。大門沢小屋を下り始めると朝農鳥小屋を出たと言う若者が凄い勢いで追い越して行った。その後も2人の若者が続いていった。トレイルランでもしているのかなと思わせられるのであった。
途中2回ほど休憩を取り、吊り橋を2回渡り、巨大な砂防堰堤の現場に下ると林道終点登山口であった。林道を30分歩いて広河原に通じる道路の慶運トンネル入口に下りついた。バスの時間までは30分の余裕があった。

広河原に向かうバスは45年前を思い出させる道で懐かしさがこみ上げてくる。野呂川発電所や歩き沢橋では身を乗り出して当時の面影と記憶を追う。しかし遠い記憶と現実の間には通じるものはなかった。広河原の堰堤だけは記憶が蘇り感動するのであった。
広河原からは乗合いタクシーに乗り換え芦安の駐車場には13時過ぎの帰着となった。


(左)歩沢橋のたもとから野呂川河床に下るゲート この先に45年前の思い出がある。
(右)広河原に着く前に対岸の野呂川林道アカヌケ橋が見えてきた。

 

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